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*ニティン農園(タンザニア:キリマンジャロ)
久しぶりにお出ましの極上キリマンジャロ。
800g未満の場合 → ¥600(100g)
800g以上の場合 → ¥480(100g)
ニティン農園はタンザニアのコーヒーの中心地“モシ”から西北西へ車で4〜5時間走ったところに位置します。
マニャラ湖国立公園を眼下に見ながら山を登り、ンゴロンゴロクレーターや自然保護区域のサファリを見に来る観光客の中継地であるカラツを経由し、自然保護区域に隣接するニティン農園に到着します。
農園内は綺麗で整然としています。
また、収穫時のハンドピックをグループ長が確認するため、完熟果実の完熟度合いやその割合が著しく高いのが特徴です。
また、良質な水を確保する為に麓の湧水をくみ上げ、ダムを作りその水をプロセスに使用しています。
精選ラインも非常に清潔です。
アルーシャで標高1,200m前後、モシでは低いところでは900m〜となりますが、同地区は1,100〜1,700m以上とかなり高めで、栽培環境もシェードが植えられ、急斜面で栽培されています。
究極のタンザニアコーヒーは畑から始まる一貫した管理体制の下で育まれたコーヒーという事がいえるかもしれません。そういう意味ではニティン農園は、Top of Topのコーヒーが育まれる条件を兼ね備えた農園と言えるかと思います。
| 焙煎具合 |
ハイロースト(浅〜中煎り)
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| 生産国 |
タンザニア |
| 農園主 |
Sundhir N.Ondhia(スンディル氏)
2011年時点で63歳。インド系タンザニア人です。農園経営以外には麓の街、アルーシャにビルを多数所有する地元の名士。 |
| 地域 |
ンゴロンゴロ保全区域に隣接 |
| 標高 |
1500〜1700m |
年間平均
降水量 |
875mm |
| 栽培品種 |
ケント(ティピカ系)、SL27(ブルボン系) |
| シェードツリー |
アルビジア(マメ科) |
| ニティン農園の由来 |
スンディル氏の長男の息子さん(孫)の名前が由来です。同農園は1962年に現オーナーの父親が農園経営をスタートしました。
現在、ファミリーで農園経営をしています。お孫さんの名前を付けるくらい農園を愛している表れなんでしょう。
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| ンゴロンゴロエリアの様子 |
アルーシャの大規模農園やモシの小規模含めた農園と一般的に異なるのは下記の部分です。
1.標高が高い
2.急斜面で栽培されている
3.シェードツリーを植えている
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| ニティン農園の特徴 |
ソーキングと呼ばれる工程をしません。ソーキングとは・・・「発酵処理後、水路でミューシレージ(ぬめり)を除去するために木製のトンボの様なものを使ってパーチメントをごしごし洗った後、もう一度水槽内にパーチメントを水を張って投入し完全にぬめりを除去する工程をいいます」。
タンザニアの大規模農園では一般的な工程ですが、過度に水と接触している時間が長すぎると、生豆に含まれる水溶性の高い物質(ショ糖など)の減少が懸念されます。同農園ではソーキングのプロセスを採用しておりません。
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*タンザニアはこんな国
| 正式国名 |
タンザニア連合共和国
Jamhuri ya Muungano wa Tanzania |
| 面積 |
94万5,000平方キロ(日本の約2.5倍) |
| 人口 |
人口:3658万人(2004年)世界第33位
人口密度:39人/km2 |
| 首都 |
法律上の首都:ドドマ
実質的な首都:ダルエスサラーム |
| 人種 |
バンツー系が大部分 |
| 民族 |
主な民族はスクマ族、ハヤ族、ニャキュサ族、ニャムウェジ族、チャガ族等約130部族 |
| 言語 |
公用語はスワヒリ語(国語)と英語。約126もの言語が話されている。ちなみにサファリはスワヒリ語で「旅」の意味。 |
| 宗教 |
大陸側ではキリスト教が30%、イスラム教が35%、伝統的宗教が35%である。ザンジバルでは100%近くがイスラム教 |
| 通貨 |
タンザニア・シリング
$1=1,106シリング
つまり1シリング=0.095円(2005年2月13日)
月額最低賃金:月50,000タンザニアシリング=4750円 |
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◆略史
| 360万年前 |
オルドパイ渓谷付近でこの頃のヒトの足跡が発見された。タンザニアは人類発祥の地と考えられる。 |
| 175万年前 |
オルドパイ渓谷でこの頃に生きていた現代人の祖先、ジンジャントロプスの化石を発見。 |
| 1884年 |
大陸部はドイツ領となる。 |
| 1905年 |
マジ・マジの反乱 |
| 1920年 |
第一次世界大戦でドイツが敗北し、タンガニーカはイギリスの管理下となる。 |
| 1961年 |
12月9日、タンガニーカ国として独立 |
| 1963年 |
ザンジバル島が英国より独立し、翌年に人民共和国となる |
| 1964年 |
タンガニーカ国とザンジバルが「タンザニア連合共和国」として合併 |
| 1979年 |
ウガンダと戦争 |
| 1994年以降 |
隣国ルワンダやブルンジから多数の難民が流入。 |
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◆カルチャーショック集
・教師として海外研修に行った人・・・
学校の教室は粗末な机と腰掛けがあり、数は生徒の数もない。多くの子どもは教科書もノートも鉛筆もなく地べたに座っている。しかし、子どもたちの瞳は輝き、大きな声で国歌を歌い、黒板を見つめ、先生の言葉を反復する。その姿から学びたい、分かりたいと願う心が十分伝わってきたそうです。
・自転車で道路を走った人・・・
ミクミ国立公園内を通る60km程の区間。そこはまさに野生動物の楽園。たった3時間の間に象やキリン、シマウマやガゼルなどそれぞれ数十頭も見ることができる。サファリなんてするよりもよっぽど動物にあえる。それも、自転車で!ただの道路なのでお金なんて当然必要ない。ただ、実際ここにはライオン等にあう確立も高いため注意が必要という・・・。
・ザンジバル島のフィッシュマーケットで買い物をした人・・・
女の子の服のかわいいこと、かわいいこと!どの子もサテンの生地で作られたドレスのような衣装を着ている。そんな女の子が皆でかたまって歩いてる姿は、まるでシンデレラに出てくる舞踏会を思わせるものがある!といいます。
・タクシーに乗ってしまった人・・・
タンザニア・ルワンダの国境地帯でタクシーに乗る。見た目は普通の4人乗りの乗用車。一人、また一人と乗って来る。「もう5人乗ってるよ。」いやいやもうちょっと詰めて、ギリギリまで。「え?まだ乗るの?いくらなんでももうムリだよ。」イヤイヤ、ヒザの上にもう一人、運転手のお尻の下にももう一人。結局4人乗りの乗用車に、乗員乗客あわせて11人も・・・。
・お金が払えない・・・
省庁でさえ、電気代や電話代を払えないでいるといいます。あるときは、大蔵省は1週間電気がありませんでした。また、文部省の電話は一時期ひどい状態で、電話帳には7〜8本ラインがのっていますが、その中で唯一つながるのが、省トップのPermanent SecretaryとDeputyのオフィスだけだった(日本でいうと事務次官レベル)。
◆パクリもの事情
タンザニアの市場や商店にはパクリもの、バッタものが大変多いそうです。
一番人気はNIKE(ナイキ)。NICE(ナイス)、NIKKE(ニッケ)、NIKEとロゴが書いてあってもナイキのマークが波打っていたり、マークが3本線のもある。
ラジオもPHILIPS(フィリップス)でなく、PHILIBS(フィリッブス)。SONY(ソニー)でなく、SUNNY(サニー)。このサニーはなかりのシェアがあるそうです。
ラジカセではAIWA(アイワ)ではなくて、NAIWA(ナイワ)。大阪人が見たら「ほんまにないわ〜」ってなるんでしょうけど・・・。これはNのところを絶妙に色を変えていている。日本人でも間違えて買いそうになるらしいですよ。
腕時計もCASIO(カシオ)ではなく、CASSIO(カッシオ)。G−SHOCKではなくS-SHOCK。
JAPANという商品名のスーツケースも売られているそうだが、日本では見たこともないほど安っぽい柄だそうです。
◆タンザニアでの流行
・インターネット
ここタンザニアでも、大流行で、ダルエス(実質の首都)内でもインターネットカフェがわさわさとあります。最近は地方にもでき始めました。ダルエス大学(タンザニアの東大)でも、コンピューター関係の学部は非常に人気が出てきており、しかも、就職率は他の学部に比べてかなりいいようですし、給料もかなりいいようです。若いタンザニア人にあうと、かなり多くの人が「コンピューターの勉強をしたい」といいます。政府のカウンターパートもまずは、コンピュータを要求してきます。
・携帯電話
これも大流行。ダルエスにいる限りは、おおげさかもしれませんが、日本よりも普及してるんじゃないの?と思うくらいだそうです。しかし、このような通信の恩恵を受けているのはダルエスに住んでる裕福層のごく一部でしょう。その他99.9%の人々はIT以前の問題に面しているんです・・・。
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